NPOの歴史
行政責任の追求
NPOの歴史をみると、公共活動の担い手に対する社会的意識の変化とともに、NPOが成長を遂げてきたとみることができます。公共活動の必要性がいわれるようになった第二次世界大戦後、日本では、まだまだ社会保障制度の充実が図られておらず、市民の間に、福祉や環境保護など、公共活動を求める動きが起こるようになります。当時は、「結社の自由」を保障する憲法21条が制定されたとはいえ、明治時代以来の公益法人の許可制(一種の免許制)が採られるなど、公の支配から独立した団体結成がなされる状況ではなかったため、すぐにはNPO団体の結成という動きに結びつきませんでした。当時は、公共に関する事業について、政府のほか、社会福祉法人や公益法人など行政を補完する団体が担当するものという考え方が支配的で、公共活動の必要性が語られる際は、あくまでも行政責任の追及という形でおこなわれる状況が続きました。そのため、保障改善を求める市民運動は、当時、すでにあったとはいえ、公共活動の担い手となるような組織的な活動にまでは至りませんでした。
行政からの独立
1970年代にはいると、公共活動といえば行政責任とされていた社会的な意識に変化がおこります。すなわち、行政サービスの限界が顕著となるにしたがい、産業公害などに対する批判・告発を中心とした活動が、生活排水やゴミ問題といった生活公害の改善を目的とする活動へと比重が移るようになったのです。これにより、生活者自身が生活スタイルを改善しようという市民主体の公共活動が起こるようになりました。また、カンボジア内戦が日常的にニュースで流されるといった情報のグローバル化が起こると、国境を超えて海外協力をおこなう市民団体もあらわれるようになり、国家や行政から独立した、市民による公共活動が活発化するようになります。これにより、さまざまなニーズに応える民間非営利活動団体が生じ、サービスの有償化をおこなう団体があらわれるなど、多様化の時代が幕を開けました。
公共活動の担い手
1990年代にはいると、行政サービスの穴埋めといった補完的役割にとどまらず、より積極的に、新しいニーズに応える提案型の市民活動が広がっていきます。そして、NPOの社会的評価を大きく上げることとなったのが、1995年の阪神・淡路大震災での活動です。すなわち、市民の集まりであるNPOが、行政をうわまわる機動性と多彩な救援活動で復旧に大きな役割を果たしたことにより、NPOに対して、行政とは異なる「新たな公共活動の担い手」という役割が意識されるようになったのです。そうした社会的評価の向上を受けて、行政も、より積極的にNPOとの協力関係を結んで、様々な社会的課題に取り組むという姿勢を示すようになり、NPOの独自の社会的意義が確立されることとなりました。
